
北斎が小さな机に向かって猫の絵を描きはじめると
もの凄い集中力が見ているこちらに伝わってきた。
武道の達人が立ち合いで真剣勝負をしているような
切るか、切られるかのピン、と張り詰めた空気。
いま彼に話しかけたら切られるかと錯覚さえする。
『 先生はいつもあんな感じで絵を描くんですか?』
僕は部屋の隅に座り、お栄さんを見上げて聞いた。
彼女は少し間を置いて、ゆっくりとこちらを見る。
『 ん?ああ、そうだね。そんな小声で話さなくて
大丈夫だよ。描いてる時のおとっつぁんは周りの
声なんて全く耳に入らなくなっちまってるから 』
そう言うと彼女は欠伸して、眠そうに首を傾げた。
『 それじゃ私はひと眠りするよ。昨日は徹夜さ 』
そしてそのまま手を軽く上げて部屋を出ていった。
徹夜か。いつの時代も絵描きは大変なもんだな。
絵を描くことが全て。改めてこの部屋を見回すと
絵に関わるもの以外、殆ど何もないことに気付く。
和紙、散乱した絵、文机、絵筆、墨、すずり…。
逆に生活に必要そうな家具がまるで見当たらない。
一体どうやって生活しているのだろうか・・・。
僕がそんな思案に暮れてると、30分程経過した。
『 よし、出来た。嬢ちゃんたち、もういいぞ 』
そう言って北斎は満足そうに絵筆を机に置いた。
『 どうだ北渓、国芳の絵なんざ目じゃねえだろう 』
そう言って北斎は描いた絵を誇らしげに掲げた。
確かに凄い。まるで生きているようだ、しかし…。
『 これ、私がいないんだけど 』 シンディも気付く。
『 お前はこっちだ 』 北斎は別の絵を彼女に渡した。